会長
「夢」と「自分を探さない旅」
2019年4月2日会長
ゆるやかな風をうけて 沖まで出ると
海はエメラルドグリーン
波は水平線のむこうから 一列になってやってくる
心、自由なる人間よ
風に向かって帆を張ろう
希望の帆を高く高く
夢を忘れずに
夢を追い続けるために
そうさ 人間は
ある日 みんな少年だったんだ
小さな頃から自分の夢を持ってる人は幸せだね。でも大人になるにつれて、その夢を捨ててしまうことや忘れてしまうことだってある。子供の時の夢をいつまでも持ち続けてる人って魅力的だ。今、夢を持ってる人は、その夢を簡単にあきらめないでいてほしいよね。
でもね、もしも夢を持っていなくても、ちっとも恥ずかしいことじゃないよ。子供のころや中学生・高校生になっても、世の中がどんなふうにできてるんだかわからないなら、夢なんて持てないよね。
大人たちは将来の「夢を持とう」ってすぐに言う。「この頃の子供たちは夢を持っていない」なんてね。まるで夢の押し付けだ。そんな言葉で無理やり持った夢なんて、本物じゃない…嘘っぱちさ。
そう、ゆっくりとゆったりと大きくなればいい。「自分探しの旅」じゃなく、「自分を探さない旅」のほうがよっぽど大切なんだ。その中で自然に見えてくるものがあるんじゃないかな。そんなふうに見えてきた夢が、自然に子供のころに湧いてきた夢とおんなじ性質のものなのかもしれない。そんな夢に出会えたら、その時には、しっかり追いかけてみるんだね。
紙風船
2019年3月31日会長
=紙風船= 黒田 三郎
『落ちてきたら
今度は もっと
高く 高く 打ち上げようよ……
高く打ち上げよう高く高く
美しい 願いごとのように
何度でも打ち上げようよ
美しい 願いごとのように』
私が小学生の頃、グリコのプリッツのCMソングにも起用された歌の歌詞です。日本のフォークグループの草分け“赤い鳥”が歌っていました。
ふつう願いごととか、夢とか、希望とかというものは、羽があってパタパタと飛んでいくもののように考えちゃいます。でも本当はちがうんじゃないかと思ったことがあります。
この詩は「落ちてきたら」という一行ではじめられています。きっと、願いごとや夢には重さがあるんですね。放っておけば、それはすぐに落ちてきてしまう、ちょうど紙風船のように・・・。夢と希望を持った生き方には、いつも紙風船を打ち上げつづけるような努力が必要なんでしょうね。
塾で出会う児童・生徒諸君、その一人一人がよい夢やよい希望に出会いますように・・・そしてそれを打ち上げ続ける努力のお手伝いができますように・・・、私たちの塾がその努力のスタートラインになれますように・・・。
「生きる力」と「思考力・判断力・表現力」
2019年3月28日会長
「生きる力」という言葉を聞いたことがありませんか?特に、教室産業の広告やテレビコマーシャル、とりわけ、学習塾や英会話教室、ロボット教室などで多いようです。この言葉は、文部科学省がかつて学びの目標として唱えた言葉です。すると多くの教育産業がこれを宣伝文句に取り入れました。しかし、それは実態のない単なるキャッチフレーズになっている場合がほとんど・・・。問題は、それを実現するための具体的なプログラムを持っているのか、実際にそれが実践されているかです。何もせず何も変えずに宣伝文句になってはいないかということです。かつて、私たちは、これに対応するために具体的なプログラムを練り実践しました。今までご紹介したいろいろな自由な取り組みはその一部分です。
4~5年前から広島の公立高校の入試問題は音をたてて変わりはじめました。これを私たちは、2020年の教育改革の先行変化だと考えました。たとえば、今から数年前に社会科の出題で、学校ではほとんど習っていないであろう国の地図・統計資料やグラフが示され、それを見てしっかり考え判断し表現する問題が出題されました。私たちはその前年の国語の問題の変化でこれを察知し、この社会科の問題が出題されたことをキッカケに、受験対応を新たなプログラムに進化させました。そして、2020年からの教育改革のうち大学入試改革で文部科学省が問おうとしている学力、それは「思考力・判断力・表現力」です。すると今度はその言葉を標榜する教育機関が一気に増えてきました。さあ、確かめてください。それは単なるキャッチフレーズですか?その陰にちゃんとその言葉に対応したプログラムがありますか?私ども学習共同体河浜塾・学習共同体上中学院には、これを裏打ちする取り組みやプログラムがあります。。
君が人生の時
2019年3月21日会長
=君が人生の時= 浜田省吾
『激しく寄せては 引いてゆく波よ
時は無口な旅人 夢は欠けてゆく
喜び悲しみ 今日も つづれ織りながら
明日へと心をつなぎ ひたすら生きてくだけ
たとえ それが思い通りに いかないとしても
Time of your life 抱きしめるがいい
ただ一つの君が人生の時』
海を見に行きました。波が砂をさらってゆく音が、また、その余韻が、心のすみずみまでを洗い流すように響くのを感じました。そして、からっぽになった心の隅から浜田省吾さんのこの歌の出だしの数小節が小さく響きはじめました。
自分の人生の中で大切な瞬間・一生忘れられない風景や出来事に出会うことがあります。そんな時を、「人生の時」と感じるんでしょうか。
学習共同体グループの各教室につながる児童生徒たち。その子供たちの人生の片隅に、ここで勉強したことがどのくらい残るのでしょう。願わくは、あの時塾で頑張ったなあと思い出せる「人生の時」を経験できますように・・・。
そして、さらに、この歌は2番の歌詞に次のように続くのです。
『夢からさめても また 夢追いかけたい
人は寂しい旅人 いつも風の中
あふれでる愛を いくつも 誰かにそそいで
傷つき そして 立ち直り ひたすら愛するだけ
見果てぬ夢と 満たされぬ愛 両手にかかえて
Time of your life 想いをはせれば
心高鳴る 君が 人生の時』
母の誕生日の思い出
2019年3月20日会長
母の誕生日の思い出です。小学校6年生の時のこと。貧しかった河浜は、おこづかいを貯めていなかったので、その年は小さなプレゼントさえ買えませんでした。そこで誕生日前日に母の好きなワタリガニを取ろうと当時住んでいた呉市音戸町の島を流れる小さな川の河口で足を水につけて、大きなカニをさがしました。でも、カニは取れずじまい。そしてその夜に発熱。母の誕生日の朝、母は私を背負い病院までの長い道のりを歩きはじめました。当時の我が家には車などありません。小6になった男の子を背負って母は町医者の所に連れて行ってくれました。身長は母を10センチも越えていたと思います。私の足は地面をひきずっていました。当時はやせていたものの体重も母よりは重かったでしょう。途中、島の狭い路地で人が振り返っては見ます。けれど長い道のりを、母は歩き通しました。
中1になって私は、母の故郷・広島市佐伯区に引っ越しました。そして、大学生になって音戸町を訪れた成長した河浜には、道も建物も何もかもが小さく見えました。でも、一筋の道だけは、とても長く感じました。そうそれは、あの時母が自分を背負って歩いてくれた道・・・。
その夜、父が呉市内でバースデイケーキを買って帰りました。ケーキには「幸子さん、お誕生日おめでとう」と書いてありました。父の母という一人の女性に対する精一杯の「ご苦労さん」だったんですね。
トイレも共同、台所も共同、私の部屋はときおり雨漏りする屋根裏部屋で、銭湯通いの毎日。両親は、そんな貧しくちっぽけな家庭でも、豊かな愛情に満ちた家庭で私たちを育ててくれました。河浜はそのことを幸せに思います。
一昨年の6月、母のバースデイケーキのプレートには、「お母さん」ではなく、亡くなった父の代わりに、「さちこさん、おたんじょうびおめでとう」と書いてもらいました。塾を開いた当時は、会計を中心になって手伝ってくれた母。今でも何か手伝いたいらしく、今年86歳になりますが、まだまだ元気でワードや会計ソフトを操っています。